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2011年7月 2日 (土)

被災地ボランティア(2)

 写真を見てもらってわかるとおり講堂に雑魚寝状態でなかなか熟睡できないなか、また雨の音に早朝より目が覚めていました。

 6時前に皆が起きだしまずは朝食、私たちは朝からなんとカップヌードルに魚肉ソーセージ。周りもコンビニのおにぎり(どこで買ってきたのか?)や自炊のご飯、パンと各自完結の食事。そうこうするうちに地震に遭遇~そう揺れた感じはしませんでしたが後から聞けば震度5、77日ぶりの津波警報も発令されました。それでその日は終日ボランティアセンターでの活動は全部中止の決定がすぐになされました。

 せっかく来たのに…途方に暮れるなか、浅田県議は大船渡市の民間ボランティアで月に一度活動をしている、避難住民への食事の供給活動に連絡を。山田県議は関係団体に連絡し遠野市の救援物資の仕分け作業手伝いがあるという情報を。結局、受け入れが可と返事があった食事供給のボランティア活動に従事することになり現地に移動。

 活動拠点は市の多目的ホールみたいなところ(市民会館をイメージしてください)そこの大きな部屋に全国から届けられた食材の一部がプールされており、それを上手に使って献立をたて調理し、同施設内に避難されている方に食事をだし(伺った時は100人弱、当初は300人以上いたとのこと)また市内各地の避難所に食事を届けます。これもまた300食近くに減ってましたが、ピーク時は2000食ほど届けていたそうです。ここにも地元の人に加え全国から活動を知ったボランティアの人が集まっていました。

 ここの活動(さんさんの会)のきっかけは大船渡市内のイタリアンの店主が(その方は幸い被災されなかったそうです)震災当日の夜、泣きながらおにぎりをにぎり道行く人に提供したのがきっかけだそうで、一人二人と同志が集まり前述の活動を始めたそうです。その方がリーダーですが残念ながら当日はお会いできませんでした。皆休みなく毎日毎日…調理をされる方は他に中華料理と和食の店をやっていたプロの本職さんがいました。なので変な話ですがここの食事はうまいと評判なんだそうです。

 私たちは、厨房で手伝う人、できた食事を運ぶ人、館内の清掃、避難者への配膳渡し、そして仮設住宅への近況の聞き取り調査と、分かれて活動をしてきました。役にたったのかは?ですが、現場に立ち活動を知り、被災者の直接の声を聞いてこれたことは何よりもよかったと思っています。

 私が配達した漁民センターの避難所は地域的に特に高齢の方が多いところだったそうですが、そこの責任者の方が「とにかく病人をださないことに心掛けた。おかげさまで未だに病人はでていない」と言われていました。すごい責任感です。

 私たちがもし被災したら…こんなに強く支えあえるか、自分の責任を果たしどれだけ人の役にたてるか…日本って捨てたもんではありません。そして命の大切さ、支えあうことの素晴らしさ、絆を強く感じました。

 PS 漁民センターに行く途中に幼稚園がありました。園内からはこどもの声が。「もう通常通り園を開いてるんですね。何人ぐらいいるんだろう?」何気ない私の問いにドライバーの方は「今は36人です。震災前は50数名いたそうです」「それは…」「そう亡くなった子供たちです」

そしてホールで食事を作ってくれていた中華料理の方も、店が流され家も流されご自身も避難所暮らし。そしてお子さんも亡くされ、そんな状況で毎日食事を作りに…人はこんなに強く生きれるものなんでしょうか

 毎日無事に暮らしていれることに感謝し日々しっかり生きねばです。     

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