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2014年6月13日 (金)

笛吹けど(続き)

 国体への機運が盛り上がらない。よく聞こえてきます。

 どこに問題があるのか…訴える場の少なさと訴え方の工夫。具体的にじゃあ何をすればいいのか、また自発的に何ができるのかを考える機会、このあたりではないかと思います。おそらくの推測ですが、担当部署や自治体としての努力は別にして、そもそも時代の流れのなかで昔ほど国体に対しての関心が高くない、これは本県だけではなくどこの開催地となった県にもみられることではないのかと思います。しかしやるからにはしっかりできうる限りの取り組みせねばです。過去の実績のなかで成功事例をもう一度チェックし取り組みを今強めることが肝要だと思います。

 それに関連して昨日話を聞いたところからは以下の内容が、

「以前にも相談したが、オープニングで県下各地から民謡を踊る会員が500人近く集まる。本番では衣装も一部新調しようと思うがそれに対し助成できないのはわかるが(過去にお願いしたが公募の際それらの費用はだせない旨条件つけたとのことで対応できないといわれています)全体練習のためバスを借りて諫早のグランド等を借りて何度か練習せねせねばならず、その費用(交通費)が馬鹿にならない。県全体で盛り上げねばと、諫早や長崎市の会員だけでも対応できたものを島原や西彼、佐世保の県北等広く声をかけたものでバスを借りなければならなくなった。よかれと思ってやったが…公募で選ばれたら県の代表選手と違うのか。150万を超える金額になりそうでどうしたらいいものか頭を抱えている。経費程度の助成は支援してほしい」

 言われていることは至極わかる話で私は以前の相談の時も「そのようなことに使うのに企業や県民から集めた寄付があるのではないか」と交渉しましたがダメでした。寄付で集めたお金は本体にぶっこむと当時説明を受けました。当時も思いましたが、やはりそれは上記のようなことに充ててこその「ご厚意の寄付の使い道」だと思うのは私ばかりでしょうか…一例ですがこんなところにも盛り上がらない一因があるのだと思います。幸い所管する委員会になりましたので正式にどこかの場面で質問をしたいと思っています。

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コメント

貴重な体験談ありがとうございます。そうですね、当時は国体音頭なるものもあったとか。何年も前から練習してたとは…間際になってのバタバタ感があるのかもしれませんが、現場は現場で随分以前から準備や告知活動はしてるんですよね。休日返上で。盛り上がりが昔と違うのはやはり時代背景もあると思います。色々ご指摘ご意見あるかと思いますが、そのような声を活かしてあと4ヶ月ほどをしっかり「盛り上げ&おもてなし」に県全体で努めることが大事だと思います。

投稿: まえてつ | 2014年6月14日 (土) 11:00

今はもう手元にありませんが、小学校卒業時の『文集』タイトルで、長崎国体の際にマスゲームで鼓笛隊として参加したことをタイトルにしたものが多かったと記憶しています。 鼓笛隊は、大きく三隊(鼓隊・笛隊・バトン隊)に分けられ、笛隊はさらにソプラノ・ソプラニーノ(?)・アルトなどに細分されていました。 私は、鼓隊のシンバルを担当しました。 なお、鼓隊のベレー帽の色は『赤』で、鶴の目を表現し、笛隊のベレー帽の色は『白』で、鶴の羽・体を表現しました。 曲目は、『錨をあげて』♪ド・ミ・ソ・ラ・ミ・ラ♪ 、『あっかとばい』、『島原の子守唄』他でした。

投稿: かきつばた | 2014年6月13日 (金) 16:59

 前田さん、袋詰め菓子の個包装キャンディーの一個一個・一粒一粒に『がんばくん・らんばちゃん競技別シール』を早急に貼るよう依頼された作業現場に遭遇しました。 微笑ましくなくもないですが、 いったいこのようなこと誰の発案なのかとも思いました。誰にどこで配りどんな開催盛り上げ効果が生まれるのかしらん?

投稿: かきつばた | 2014年6月13日 (金) 16:44

出演者を県内全域に拡げた時点で、スケジュールを検討しなかったのが不思議です。 昭和44年(1969)『長崎国体』の際に、マスゲーム『鼓笛隊』に参加しましたが、参加小学生は長崎市内中心部の開催時の小学校6年生に限っていました。なお、楽器等担当割り振りは、小学3年生の第3学期に行われて、小学校4年次から練習が始まりました。 当然、長崎国体への関心は高かったです!

投稿: かきつばた | 2014年6月13日 (金) 16:05

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